出逢いがあれば

言霊との出逢い…に感謝!

まだ200〜100年前のこと。白人を友人と見なして、食料や土地を分け与えたのに、逆に騙され、虐殺され続け、遠く離れた荒れた土地に移住隔離され、1千万人いた内の95%近くが亡くなりました。我々と祖先を同じくするモンゴロイドです。

 

 

知識でなく、知恵を求めよ。

知識は過去の産物だが、

知恵は未来をもたらす。

 

 

せせらぎや川を流れる輝かしい水は、ただの水ではなく、われわれ祖先の血だ。

湖の水面に映るどんなぼんやりとした影も私の部族の出来事や思い出を語っているのだ。

かすかな水の音は私の父の父の声なのだ。

 

 

岩は偶然ここにあるのではない。

木は偶然ここに立っているのではない。

そのすべてを造った者がいる。

私たちにあらゆることを教えてくれる者が。

 

 

あなたが本来の自分であること。

宇宙に対して、あなたにはそうある責任がある。

自分の本当の姿を思って、あなたがぞっと身震いするなら、

身震いすればよい。

あなたは壊れやしない。

怖れずにはばたけ、

自分自身になれ。

 

 

富はいらない。

だが子供たちをまっすぐ育てたい。

富など、われわれにとってはなんの役にも立たない。

そんなもの次の世界へもっていけないじゃないか。

富なんぞいらない。欲しいのは、平和と愛だ。

 

 

そこにたどりつこうとあせってはいけない。

「そこ」など、どこにもないのだから。

本当にあるのは「ここ」だけ。

今という時にとどまれ。

体験をいつくしめ。

一瞬一瞬の不思議に集中せよ。

それは美しい風景の中を旅するようなもの。

日没ばかり求めていては、夜明けを見逃す。

 

 

 

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします。

敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います。

ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります。

ねたみを受けて育った子は

いつも悪いことをしているような気持ちになります。

心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります。

はげましを受けて育った子は自信を持ちます。

ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります。

公明正大な中で育った子は正義心を持ちます。

思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます。

人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします。

仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます。

 

 

皇太子様の発言から、ドロシー・ロー・ノルトさんの54年の詩

「子は親の鏡」が明らかになりましたので併記いたします。

 

 

けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる。

とげとげとした家庭で育つと、子どもは乱暴になる。

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる。

かわいそうな子だ、と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる。

子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる。

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる。

叱りつけてばかりいると、子どもは

「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう。

励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる。

広い心で接すれば、キレる子にならない。

誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ。

愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ。

認めてあげれば、子どもは自分が好きになる。

見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる。

分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ。

親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る。

子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ。

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもはやさしい子に育つ。

守ってあげれば、子どもは強い子に育つ。

和気あいあいとした家庭で育てば、

子どもはこの世の中はいいところだと思えるようになる。

 

 

別訳の「子ども」

 

批判ばかりされた子どもは、非難することをおぼえる。

殴られて大きくなった子どもは、力にたよることをおぼえる。

笑いものにされた子どもは、ものを言わずにいることをおぼえる。

皮肉にさらされた子どもは、鈍い良心のもちぬしとなる。

しかし、激励をうけた子どもは、自信をおぼえる。

寛容にであった子どもは、忍耐をおぼえる。

賞賛をうけた子どもは、評価することをおぼえる。

フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる。

友情を知る子どもは、親切をおぼえる。

安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる。

可愛がられ抱きしめられた子どもは、

世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる。

 

 

 

 

子どものころ、まわりにいる大人は誰でも物語を話してくれた。

冬は暖炉のまわりで、夏は屋根の上に寝そべって。

土の家は蒸し暑いから、みんな屋根に上がって眠るの。

ブランケットもなし。ただ寝転がるだけ。

落ちていきそうに深い夜空を覗きこみながら、たくさんの話を聴いた。

この世界のありとあらゆるものについての物語。

太陽、月、鹿、蛇、蟻、鷲...悲しくて泣いてしまう物語もあった。

 

 

子どものころ、昇ってくる太陽を拝むことが、

その人の一日を光で満たしてくれるのだと教えられた。

起きなさい。日の出を見ることが、今日あなたがする最初のこと。

起きたとき雨が降っている、太陽が少ししか出ていないこともある。

たとえそうであっても起きなさい。

いまになって、親たちがどうしてこの習慣を教えたのか理解できる。

それは朝起きたとき、人は感謝の気持ちで

満たされていなければならないということ。

そして、今日一日に備えるということ。

私が子どものころは、村の人々の全員が日の出前に起きていた。

小さな子供たちも、ほとんど強制的にそれをさせられた。

 

 

いちばん重要な、最初の平和は、人の魂のなかに生まれる。

人間が宇宙やそのすべての力とのあいだに、

つながりや一体感を見いだせたとき、その平和が生まれるのだ。

宇宙の中心にはワカンタンカが住まい、しかもこの中心は

いたるところにあって、

それはわしらひとりひとりの内部にもある、と理解したときにな。

これこそが真実の平和なのだ。ほかの平和はすべて、

この真実の似姿にすぎん。

二番目の平和というのは、二人の人間のあいだに生まれる。

そして三番目の平和が、二つの部族間にあらわれる。

しかし、わしがしばしば言うように、人の魂のなかに

生まれるものこそが真実の平和なのだから、

その平和をまず知っておかない限り、部族間の平和など

とうてい実現せぬということを、なによりも理解しなくてはならん。

 

 

一人でいることと淋しいということはぜんぜん違うのだよ。

一人でいても淋しくなく穏やかな心でいるようになるためには、

自分が最良の友と一緒だということを知ればよいのだ。

自分自身と一緒にいて心が安らぎ、自分を愛していれば、

決して淋しいことはない。

 

人は自分自身を愛するようになったとき、

初めて他人を愛することができる。

孤独の純粋さに触れるには、

まず自分を愛することを学ばなければならない。

利己的にならずに自分を愛することができれば、淋しさは存在しない。

自分に対する愛は、また、ほかのすべてのものに対する愛を生み出し、

聖なる「ワンネス」の世界に近づけてくれるのだ。

 

 

 

最初のアメリカ人は謙虚な自尊心を持っていた。

その性格にも教えにも霊的にも傲慢さは見られなかった。

言葉をみごとにあやつるものは語らぬ被造物より優れている、

などと考えたりはしなかった。

それどころか、それはわざわいをもたらす才能と思われていた。

最初のアメリカ人は沈黙を深く信じていた。

沈黙は完全な平衡のあかしであるから。

沈黙とは、体と精神と魂が完璧な釣りあいをとっていることである。

自己を保っている人は、葉の一枚たりとも動かぬ木のように、

小波ひとつ立たない輝く池のように、

つねに静かで、実存のあらしに揺すぶられることがない。

無学な賢者の考えによれば、もしあなたがその人に

「沈黙とは何か」と尋ねるならば、

その人は、「沈黙とは大いなる神秘!」

「聖なる沈黙はそのお方の声!」と答えるであろう。

もしあなたが「沈黙のもたらすものは」と問うならば、

 

その人は、

 

「自己抑制、真の勇気、堅忍不抜、尊厳、そして崇高。

 沈黙は人格にとって隅の親石である。」というであろう。

 

                              

ドロシー・ロー・ノルトさんの本

 

 

----------------------------------------------

 

今朝も素晴らしい言霊と遭遇した…。

なんと力強く、命の輝きに溢れた生きた言葉だろう。

素直で温かく優しい、お日様の香りがする言葉だろう。

 

 

【あなたが本来の自分であること。

 宇宙に対して、あなたにはそうある責任がある。】

 

【富なんぞいらない。欲しいのは、平和と愛だ。】

 

【いちばん重要な、最初の平和は、人の魂のなかに生まれる。

 人間が宇宙やそのすべての力とのあいだに、つながりや

 一体感を見いだせたとき、その平和が生まれるのだ。】

 

 

…あなたはどの言葉に、グッと心を捉まれましたか?

どの文章に、心が動きましたか?

 

 

 

 *・・・穏やかなテンポで歩きたい・・・*

 

inserted by FC2 system